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2010/05/29 (Sat)

人を殺したらいけないのは解ります。しかし...

人を殺したらいけないのは解ります。しかし...

人を殺したらいけないのは解ります。しかし、自殺していけないのは何故なのか解りません。死にたい人がいて、誰にも迷惑かけずに死ねるなら死んで良いと思います。
誰かが自殺すると「残された人の気持ちを考えろ」と言われます。でも、死んだ人を救えなかったから自殺してるのに残された人の事まで考えろと言われるなんて余りにも周りが自分勝手な気がします。
人は何故自殺してはいけないのですか?
死にたいなら死なせてあげたらどうでしょうか?
・・と言いつつも目の前で自殺しそうな人がいたら説得してしまうかも知れませんが。
真面目な質問なので、真面目な回答だけお願いします。
※自分が自殺したいという話ではありません。

意見その1

人を殺してはいけないことはありません。
実際に死刑制度があるわけで、人を殺してます。
理由があれば、人を殺してもよいのです。
また、戦争では、人を殺してもよいことになってます。
これも理由があれば殺してもよいことを認めています。

また、「誰にも迷惑をかけずに」人は生きることも死ぬこともできません。
人は自殺していけないことは何もないです。

人間は自分本位で傲慢ですから、自殺を許容すると
自分自身が死ぬことを許容することと勘違いするので
駄目だと拒絶反応を起こします。

死を忌み嫌い、恐怖するからです。

自殺してはいけない理由は何もないです。
尊厳死とか言う言葉があります。
理由があれば人は自殺することを許容しようとしています。
理由があるないというのは単なる主観で、自殺してはいけないとか自殺しもよいと
いう理由にはなりえないのです。

人は死ぬと生き返れない(不可逆)だからと言う理由を挙げる人もいますが
不可逆なものは世の中には一杯あります。


意見その2

自殺はとかく個人の問題と捉えられがちですが、自殺の要因には、個人レベルの悩み事ばかりでなく、
医学的要因(鬱病など)、社会的要因(自殺を賛美・推奨・強制するような社会的・宗教的背景)など様々で、
どんな社会でも、必ず一定の率の自殺者が出ます。
言わば自殺は人類の社会に普遍的に存在する自然現象ともいえます。そういう意味では病死と同じです。
その普遍現象を、社会としてどのように解釈するかは、時代・地域・文化によって全く異なります。

日本について言えば、江戸時代には、武士が潔く切腹することは、称賛されることでした。
戦時中は、国のために死ぬことは名誉であり、捕虜になって生き長らえるより、自決すべしとされました。
(個人がどう考えていたかではなく、その社会で一般的に是とされていた価値観のことです)
宗教が信仰者を自殺へ駆り立てる例もありますね。即身仏、自爆テロなど。
現代の日本では、名誉・信念・信仰よりも、「命」が何より尊いものと位置づけられているために、
「まだ生きられるはずの命を自ら終わらせる自殺はいけない」と考える人が多くなっているのです。
社会の価値観が変われば、宗教や哲学もそれに合わせて解釈を変えていくものです。
「自殺は罪である」「自殺したら成仏できない」「残された人の気持ちを考えろ」
「世の中には生きたくても生きられない人が・・・」「後片付けする人の身になって・・・」など
皆後付けですが、社会の(多数派の)価値観に合致したからこそ普及した考え方です。
潔く切腹しようとする武士に「世の中には生きたくても生きられない人が・・・」なんて誰も言わなかったでしょう。
「自殺はいけない」なんて絶対的な価値観はないのです。

また、自殺はいけない、命は大切だと言いつつも、日本は伝統的に自殺を美化しがちな文化があります。
忠臣蔵など、今でも美談として語られる歴史的自殺もあります。
浄瑠璃の影響なのか、「心中」という名の自殺にも、少々同情的なところがあります。(例:失楽園)
誰かを救うために身代わりに死ぬことは、現代でも完全に美談です。(例:塩狩峠、新大久保駅の転落事故)
残された人の悲しみや後片付けする人の存在は変わらなくても、
自ら命を捨てることを美しいと感じる場合があるのも事実です。
そのことと、目の前で自殺しそうな人がいたら止めたくなる感情とは、共存しうると思います。
人類社会特有の自然現象としての自殺と、自殺したい(させたくない)感情だけが実在であり
理屈も解釈も宗教も全て後付けです。
「人間は自殺してはいけないのか?」という問いには、
何とでも理屈をつけて、否定も肯定も可能です。絶対の答えはありません。

自殺であろうと自然死であろうと、死は死です。死という自然現象の解釈は様々あるのに
多数派の意見だからといって、腑に落ちない価値観に縛られる必要はありません。
法に触れない範囲、他人の自由を侵害しない範囲で、自由に考えていればいいのです。
一般的な考え方に従うのは最も無難ですが、
「人は自殺してはいけないということは必ずしもない」という価値観を持つ個人がいたって
(他人に教唆などしなければ)何の問題もありません。私もそんな一人です。
個人的には、子供の自殺だけはやめてほしいと思いますけどね。
客観的に見て、簡単に解決できるはずの問題を理由に死ぬケースが多いように感じるので。
成人なら別にいいと思います。周りが迷惑という発想もちょっと違うと思っています。
追い詰められた人の、死ぬ方がましと思えるほどの生きる苦しみと、
命をかけた最後の決断に対して、「迷惑」はないんじゃないかと。他人の命を何だと思ってるのかと。
そんなことを口に出したら、感情的に言い返してくる人が多いので、言わないだけで
同じようなことを考えている人はいると思いますよ。


意見その3

すみません。宗教的な考えになってしまいますが。

私はキリスト教徒です。
人はみな意味をもって生まれてくると教わりました。
人間生まれたからには神様に愛されて生まれてきたのだと。
なので自殺もしてはいけないと。

それを信じろとは言いませんが。

自殺をしたいと思う方は、心の問題を抱えている方や身体上の苦しみ(病気)、
また、人生に何の意味を感じない。生きているのが辛い、等
いろいろな、悩みを持った人達だと思います。

人間幸せに生きていれば死にたいなどと絶対に考えません。
自殺したいと思っている人も
どこかで、本当は生きたいと思っているはずです。

なので、みなそれを止めたいが為に自殺をしてはいけない。と言うのだと思います。
残された人の気持ちを考えろ。というのは説得の一つの方法であって、
それにより思いとどまってくれたら・・・。と。
その人の事を思って言っているのではないでしょうか。

自殺してはいけない。という言葉は
やさしさや思いやりから来る自然な言葉だと私は思っています。

文章が下手で、まとまりがなくてすみません。


意見その4

死ぬ気で居るなら、死が目前の方のお世話をしてあげてください。命をあげろとは言いません。「死にたいのに生きている」「生きたいのに死が近づく」こんな極端な心境の者同士の触れ合いは一体どんな物なのか興味ないですか?きっとないですよね。だって自殺は最大の自己中であり、罪なのです。(↓まさにキリスト教で教えられました。)自己中な人が他人の為に動く事はないのです。・・・・ことで如何でしょう?結論⇒「自殺は最大の自己中であり、罪」


意見その5

あとに残された人の気持ちはどうでもいいんです。

問題は事務手続きが煩雑になる事があるので、それさえクリアできれば、死にたいと思う人の気持ちを止めるつもりはありません。
その辺の事務手続きを完璧に出来るのなら、自殺であろうと病死であろうと事故死であろうとこれから1分後に誰かさんが亡くなるかも知れません、その原因は何だかわかりませんが。
後に残された人の気持ちがどうのと言うのは生きている人間の勝手な思い込みですからね。
父は肺気腫で入院して退院、そして退院した翌日再入院して、再入院した当日亡くなりました。
病死で病院でなくなったとしても、周囲の人間の心の準備が出来ないまま、亡くなりました。
自殺なんてするなと言う人も沢山いますが、事故や病気であっという間に亡くなった人間の遺族からしてみると、要は心の準備が出来るか、出来ないかの違いじゃないかと思っています。
余命何カ月、余命何日と言う宣告が遺族、本人にされていれば、それなりに心の準備が出来ますが、あっという間になくなってしまったら、心の準備が出来ないです。
自殺も同じです。
周囲に自殺あるいはあっという間になくなってしまった人がいない人間には回答出来兄質問かもしれませんね。
死にたい人間には死なせて揚げればいいんです。
それまで一生懸命生きて生きて、それでもどうにもならない、そう思ってご本人が自らの手で自分の人生を終わりにするんです。
赤の他人に自分の人生を終わりにされるのとは違います。
他人に自分の人生を終わりにされるのなら悔いが残るかも知れませんが、自殺の場合は本人が納得しているんですから、自らの手で人生を終了させるのもいいと思っています。
一番悔いが残るのは自ら自分で自分の人生をリセットする事ではなく他人に自分の人生を強制終了させられる、他人に自分の人生をリセットさせられる事なんです。
本人はまだやりたい事があるのに、交通事故、他人に何とかさせられる、それが一番無念なんですよね。
いずれは人間死ぬんです、それを考えたら、自らの命を自分でリセットする権利が認められてもいいかと私は思っています。
ただし、その後の残されるモノに対しての事務的な事、想いは必ず文章で残す事が必要です。

私の周りには自殺した人と病死であっという間に亡くなった人、事故死した人が何人かいます。
そして私も50年生きていて、同級生の中に自殺した人、病死した人、訳ありの死に方をした人がいます。
人間の生き方ってきれいごとばかり言っていられないんです。
きれいごとで済まされる生き方を出来る人って少ないです、なので、死にたいと言う人があれば、事務処理その他すべて完ぺきに自分が死んだあと、周囲が納得できるものを紙ベースで残せるのなら、止めはしないですし、自分の人生を強制終了するのも自己責任で出来るのなら、止めない、そう周囲に言っています。
その前に相談したいのなら、いくらでも話は聞くし、相談にのりますが。
自殺した人間が最後に電話、メールをしてきたのが私だったなんて事も過去にはありました。
勿論警察の人が来ましたよ、その辺の迷惑等の事も考えてから自殺するのなら、止めはしません、本人しか人生のリセットボタンは押せないんですから。


意見その6

スピリチュアル系の話なので、信じる信じないはあると思いますが、
自殺したら、次に生まれ変われない。
自殺した時の苦しみが永遠に続く。などと言われています。

死んだら、極楽に行きたい。実際そんなものはなくても、死後に悪いことをした人は地獄に落ち、生前は苦しんでいても善行を積んでいたら、極楽にいける。

そう考えることによって、死への恐怖や、どうしようもないことへの精神の安定を保ってきたのに、それが機能しなくなるから。


死にたいなら、死なせてあげれば。と思わなくもないですが。
誰にも迷惑かけずに死ぬのは不可能です。
樹海で誰にも見つからず。とか思われるのが特に迷惑。(樹海のある県在住)

また生き物には「寿命」があります。
いつかは終わるその時まで、精一杯生きることが生まれてきたものの勤めだと思います。

以上のような事柄から、自殺してはいけないというのが一般的な認識だと思います。

またアメリカやヨーロッパだとキリスト教ですので、宗教的に確か自殺はNGだったはずです。


意見その7

自殺で迷惑がかからないことなんてないと思います。
死んだ後始末のことばかりではなく 死んで誰も傷つかないということがないからです。
自分にしたら「誰も悲しむことがないから。」と鬱の友人などにもよく言われます。「親も悲しまないだろうし誰も自分のことで悲しむことはない」と ですが何故そう思うのでしょう。
「誰も自分のことはわからない」そう思うように 誰も人のことなんかわからないのです。
一度でも大切な人を亡くし 置いて行かれた悲しさを知っていたらとても自殺なんて考えられないものです。私もとても悲しい想いをし それこそ死んでしまいたいような気持でいましたが それでも自殺は考えませんでした。
同じ悲しみを たとえそれが自分と同じような悲しみでないとしても ほんのちょっとだとしても人に押し付ける気持ちにはとてもなりませんでした。
自分が受けた悲しみ以上の悲しみは たとえすぐに忘れられてしまうような ちょっとしたものですらも もうなくっていい。。。 そう思えました。
そんな感情らしきものを取り戻せたのも 半年以上かかりましたが 本当の悲しみに心が折れてしまった時には自殺すら考え付く余裕もなかったです。毎日が真っ白でした。


意見その8

自殺をしてはいけないなんて別に決まってるわけじゃないですよ。
ただ、社会としては自殺をよしとするような社会であってはいけないというだけです。
命は個人的なものであり社会的なものですから
基準は様々です。
個人的に死にたいと思ったら死のうとするし、社会としてはそれを止めようとする。
ただそれだけの事です。


意見その9

「寿命」があるからです。
人間は誰でもいつかは死にます。
病気や事故で亡くなるか、事件に巻き込まれるか、老衰で亡くなるか、運命は人それぞれとして。
自分の命だから、自分の好きなようにしていい、とはならないと思います。
自分の存在は、親があり、先祖あってのものです。
感謝して、与えられた命は全うするのは天命であり、宿命では?
生きたくても、ながらえない人もいます。
まだ生きれるのに、自ら命を絶つというのは、寿命のある人間界ではルール違反だと思います。
どんなに苦しい人生でも、命尽きるまで生きてこそ、天寿全うです。


意見その10

私は死にたい人は死ねばいいと思います。
でも、病気で死期が迫っているとか、そういうのでないとなかなか死ねないのが人間です。
実際薬では最近は死ぬのは難しくなっているし
飛び降りれる場所もフェンスが張られて防止策が取られていたり
ムトーハップが発売停止になったこともあります。
国としては、生きて税金を納めてくれる人が必要なので
死んでもらったら困る事情もあるのでしょう。

私としては多少お金がかかっても安楽死施設が欲しいと思いますが
たぶんそこに殺到するのはまさに税金を納めなくてはいけにような
人が多いんじゃないかなーと思います・



http://sooda.jp/qa/280051

まぁ私達一般庶民には直接関係のないお話ですかね。
それではノシ

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